唐木順三

乱世も百数十年もつづくと、ひとはいはば乱世ずれがしてくる。乱世がむしろ通常のこととして受取られるやうになつても、それが乱世であることには変りはない。ひとびとはまた乱世なるが故の自由、伝統や儀式や規則から開放された個人の自由、当時の言葉でいへば「雅意」(我意)による行動の自由を感じまた実行するやうになつた。乱世においては、各自は各自の力で生きるより外はない。力のないものは己が計りごとによつて生きる工夫をする。『徒然草』は、さういふ無秩序の時代の無秩序な自由狼藉や、教養もたしなみもしつけも無い庶民また成上り者に対して辛辣な批評を加へてゐるが、同時にまた批評の自由、拘束のない精神の自由を十分に味はつてゐる。